標準装備

馬券検討用のバインダーの外側に、こうやってクリップでケイシュウをとめてあります。いつも場内を歩いている時は、これを表にして道行く人に表紙を見せる格好になります。
ケイシュウという名前に郷愁を感じる人は多く、普通でも一日2?3人、多い時には5?6人に「その新聞はどこで売ってるの?」と聞かれます。すると「岩手の馬券売場で売ってますよ」という感じで簡単に岩手競馬のセールストークをしています。新聞の中身を見せれば血統的に懐かしい馬とか、実際に懐かしい馬とかもいますしね。半分ぐらいの人は興味を持ってくれて1Fの売場に行ってくれているようです。
所詮、競馬場で競馬を楽しみながらの延長上でできる事なんて、こんなものだと思います。この事はとあるライターさんには話をした事がありますが、そんな事は自慢することでもないですし、ここでもあまり取り上げませんでした。

何故取り上げる気になったかというと、とあるサイトで見かけた事が気になったからです。ネットで仲間を集めて、岩手競馬のビラ配りを競馬場でやりたいから、主催者に問い合わせをしている。というものです。これって、完全に自己満足のための行動ですね。何もやらないより何かした方がマシ、というレベルの間違った発想です。
そもそも、その活動をする上での目標は何なのでしょう。ビラを配って売上げを何%上げるつもりなんでしょうか。まさか配った枚数を評価してもらおうとか考えて無いですよね。活動をする上での効果を考えない行動なんて、やりとげた達成感を自分で味わうためだけの行動です。だから正に自己満足。基本的にこのサイトのオーナーさんは自分の活動の過程ばかりを自己評価して、結果を全く顧みない傾向があるのですが、今回もそのようです。
最近気になるのは、地方競馬の存続を助けるというお題目で、自己満足なネットの活動の多いことです。正義の味方(この場合は競馬に対してだけの正義の味方ですが)面をしてやった事だけを自分のサイトで公開する。それで存続を助けているとか勘違いしているんです。それはただ単に存廃騒ぎに乗じて自己顕示欲を満たしているだけなのに。

この岩手競馬売場にしてもそうです。この上で生で馬が走っているのに、わざわざここに留まってモニタを見ながら岩手競馬を打っていることが、まるで岩手の為にやっていると言わんばかり。岩手競馬の主催者にしてみれば、生のJRAの競馬を上で見ていようがどこにいようが、沢山馬券を買ってくれることが一番ありがたいのに。結局評価は過程ではなく、結果なのですよ。